合併後の議会運営について、栃木県日光市、長野県安曇野市を視察
前原市議会運営委員会は、5月19日に栃木県県日光市を行政視察で訪れました。印象的だったのは、合併後の議会運営の難しさを痛感しました。
日光市は平成18年3月20日合併、栃木県の1/4を占める広大さ。全国市のなかで3番目の広さ。人口約94,000人。国道121号線が日光市を縦断しているが、65㎞もある。
非常に困難な状況下で合併を成し遂げられた。そのご苦労をお聞きし、糸島市誕生においても同様な課題を克服しなければならない。2市2町1村の合併の大変さは、想像を絶する。
日光市は2社1寺の世界遺産があり、足尾銅山を世界遺産にとの運動を起こしたが、残念ながら、平成20年9月リストから洩れた。
合併後の課題は多く、限界集落問題や今後の課題としては、観光行政の更なる発展、特に温泉を活用した提案が議会からされることが多い。足尾銅山の世界遺産登録も再挑戦するとお聞きした。82名の議員から30名となったが、あまりにも広範囲であり、全体掌握は大変困難である。どこら辺で、標準化できるかが課題である。
合併後、議会運営に関して申し合わせを、各議員会派・全員協議会で一つ一つ積み上げてきた「申し合わせ事項」を全議員に配布し、現在も、それを確認しなから議事運営を行っている。
その非常に貴重な「申し合わせ事項」をご提供頂き感謝を申し上げます。糸島市誕生後において、参考にさせていただいたいと思っています。副議長、議会運営委員会の委員長、副委員長、議会事務局の皆様の心からの歓迎、ご教示に感謝申し上げます。
5月21日(木)は午前8時過ぎに宿泊先の長野県松本市内のホテルを出発、雪を頂いた北アルプスの山々を見ながら、午前9時過ぎに安曇野市に到着。
副議長の歓迎のあいさつで、「安曇野族」は海洋民族で、九州の玄界灘に臨む志賀島にある「志賀島神社」の神主は安曇姓の人が継いで本拠地を守っている。安曇族は信州穂高に住み着いた。九州にちなんだ地名も存在するとの話で、親しみが生まれ、活発な意見交換の場となった。
安曇野市は3町2村が対等合併して誕生した。安曇野市は平成17年10月の合併以降、いわゆる「分庁方式」を採用し、事実上8つの庁舎に本庁機能を分散している。一方、このことによる市民の不便を軽減するために、旧町村役場の庁舎を「総合支所」と位置づけ、地域の問題や相談業務をはじめ、様々な窓口業務を取り扱っている。合併は平成17年10月1日で、やがて議員の任期満了を迎える。合併特例債が使える期間が残り6年を残す段階となり、本庁舎を一カ所に集約する諮問が出され、それに対し答申書が出され、現在、特別委員会で審議中である。
旧5町村の内、旧豊科町のみ線引きをしており、土地活用を条例で対応する予定で、平成23年度より実施する。新庁舎建設も選挙の争点としてはならないため、また地域エゴとならないためにも、早急に結論を出したい。対等合併で630項目を合意、3000~3500種の調整内容があり、現在まで約55%は方向性が出た。
塩尻市を見本に会議規則を議会事務局で作成、全員協議会で承認してきた。2年経過したので、反省点を整理し、議会運営委員会で協議してきた。
開かれた議会として市民に近づけるよう、1日1委員会開催としており、4常任委員会の1委員会は移動委員会として総合支所を巡回開催している。議会の模様はケーブルテレビでライブ映像、録画放映も行っている。移動委員会も傍聴者の数は多くない。
早朝より、副議長、議会運営委員会の委員長、副委員長、議会事務局の皆様方の対応に感謝申し上げます。
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