伊能忠敬が糸島に訪れしより200周年
5月4日(金)、旧二丈町在住の方に、福岡県(糸島市)と佐賀県(唐津市)との県境を案内いただいた。
県境のサイン表示は勿論存在するが、案内された方が「包石(つつみいし)」が県境ですよ」と言われ、海岸に下り立って「包石(つつみいし)」を初めて見た。台風の時、包石が落ち修復するのに、福岡県と佐賀県が費用を分担したそうである。
包石の手前に碑文があった。
碑文の表には
包石
名にし逢う
響の灘の白波は
鼓の石に
おとづるなり
伊能忠敬 測量日記 文化九年(1812)
碑文の裏は
包石の由来
昔はこの石の上に更に丸い石を重ね、鼓・つづみ・の形をしていたので「包石」となった。天正十六年(1588)に肥前国と筑前国の境界線の協定を締結したと記録が残っている。日本最初の全国地図「大日本沿海興地全図」を作成した。伊能忠敬の一行も文化九年(1812)にこの場所を訪れており、その時の測量日記の中に古歌として記されている。
と記されている。
丁度、200年前に伊能忠敬が糸島の地に、立ったのである。伊能忠敬は74歳で亡くなっているが、糸島を訪れた時は、68歳である。
「大日本沿海興地全図」を作成するために歩いた距離は、約4万キロと言われている。地球一周と同じ距離を歩かれた。
伊能忠敬を駆り立てたエネルギーは何であったのか。伊能忠敬も見たであろう風景を眺め、畏敬の念を抱くとともに大きな勇気をいただいた。当時の足取りを親友に調査していただくよう依頼した。
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