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森田実先生講演(2011.12.26)

2012年 1月 18日
ご講演されている森田実先生

ご講演されている森田実先生

 平成23年12月26日(月)神奈川県足柄下郡真鶴町で「第一回フォレストベンチ現地講習会と森田実先生のご講話」が開催されました。主催者であるフォレストベンチ研究会の栗原光二博士、ご講話された森田実先生から掲載のご許可をいただきました。ご講話の内容を森田実先生自ら、添削をされております。 

 皆さま、本当にご苦労様です。森田実です。

 真鶴駅(東海道本線)に着きましたら、私と同じ学科出身の方が声を掛けていただいて相洋の理事長である先生が、よろしくというような伝言をいただきました。 

 実は私は昭和20年の4月に小田原にある、相洋中学に伊東から通いました。

 終戦までの4カ月くらい、学徒動員で6月中旬頃まで、住居を造るというのが陸軍の方針で、本土決戦をやるつもりだった。 

 後で調べてみて分かったんですが、沖縄であまり悲惨な事が起こったもので、本土決戦はできないということで陣地構築を途中でやめました。隣の湯が原の農村に行って働いていました。8月15日には戦争が終わったんですけど。まぁ、そんなことで真鶴にはよく来ました。

 東海道線はアメリカの空軍に随分狙われました。絶えず、電車が止まりました。我々はそのころ電車が止まりましたら、歩き出しまして、例えば小田原の駅で東海道線が止まりましたら、線路の上を歩きましてね。根府川の鉄橋なんかも歩きました。 

 今日、実は早めに出しまして、センチメンタルジャーニーではないですが、各駅停車しまして、昔の思い出を辿りながら参りました。 

 真鶴の駅を降りたのは65年ぶり位なんですよ。真鶴はこちらの方の知り合いが干物を送ってくれるもので、毎年、真鶴の干物はすばらしい。私は伊東で、伊東の事を褒めなければならないんですけど、伊東は負けますね(笑)。真鶴の干物・・・。そんなことで親近感を持っていますが。 

 栗原先生と知り合ったのは、1年ちょっと前なんです。去年の12月2日と記憶しているんですが。大阪で、近畿建設技術展と、これは毎年開催して今年もやっておられます。 

 去年は特別講演の講師として招かれまして、講演の寸前に会場に着きまして、講演が終わりまして元建設省の幹部たちですよね、それが建設協会というのをやってまます。

 それから、一昨年までは国土交通省が主催してたんですけど、民間へ民間へという声に押されまして主宰が、日刊建設工業新聞社になったんです。

 私は日刊建設工業新聞にコーナーを持ってまして、週に1回「建設放談」というのを書いてまして。何を書いてもいいっていうことで、いろんな事を書いてるんですが、そのうちクビになるだろうと思ってましたら、世の中には変わった人がいましてね、我々読者がついてくるんだっていうんですね。それでずっと続けているんですが。 

 そんな縁で行きまして、建設省OBと日刊建設工業新聞社の幹部たちが案内して連れてってくれたところが、「フォレストベンチ」のコーナーだったんですね。実はわたくしは「フォレストベンチ」に惹きつけられるように行ったんです。 

 私も79歳で、過去の事もあけすけに話しますけど、戦争が終わった後、カール・マルクスばかり読んでまして、学校に入ってしますと革命家になってしまう恐れがあると自分でブレーキをかけまして、理科を選べばいいだろうと思いましたが甘かったですね。 

 待ってましたと言わんばかりに、革命運動家になりまして、25歳くらいまではプロの革命家だったんですが、当時独裁者の宮本顕治と喧嘩してクビをきられまして、60年安保が終わったと同時に自由人になりまして、出版ジャーナリズムの世界に入りまして、ジャーナリズムの中で生きてきたんですけども。その間に、私より何年か若い男が京都大学からやってきまして、一緒に私の後輩ですか、部下をやってたんですよ。 

 彼はそのうちに私は辞めろと潮時だと言ったんですが、のめり込みまして、ついに世間をアッと言わせました赤軍派という極左グループを創設しまして。「佐野茂樹君」っていうのが今病床にあってですね。 

 ちょっと危ないという話を聞いているんですけど。その男が、何年間か獄中で独房暮らしで、哲学者になって帰ってきまして。世界の最大の問題は環境破壊だと。環境破壊を直すために人生を送ろうと。家族とも全て別れ一人になりまして。京都大学で影響力があった男ですから、時々帰ってきてはカンパを集めまして、金を作っては中国の黄河の流域を旅しまして、樹木を植えたり。それではダメだっていうんで、こけーれんを植えると。苔の研究所が鳥取大学にあるのでそれを巻き込みまして、そういう努力で中国8千年の歴史の中で樹木を切り倒しても樹を植えなかったっていうんですね。戦争ばかりやっていたから。それで丸裸になって、それが土や河に流れて河が黄色くなったんですね。 

 そして黄河になったんですね。しかもだんだん土砂が溜まって、今時々水が運河に流れないようになってしまったと。それが深刻な水問題生み出してたんです。そういうのを直すには緑化しかないと。それこそ死に物狂いでやってます。日本に帰ると必ず東京に来て私を訪ねて来まして、危機迫る執念の話をずっとするわけですよ。私は聞いて意見を言うだけだったですが、その危機迫る話を聞き続けて。彼はチベットにも長く住みまして、ありとあらゆることをやって、エネルギーを使い果たして病床に倒れて今起き上がれないという状況になっているんです。 

 彼は私よりも4、5歳若いですけどね。そんな事をずっとやってきましたで、こういう破壊された土地をどう直すかというのは、彼を通じてだけじゃないんですが、ずっとやってきたんです。

 出版社に入りました時にまずやったのは、公害衛生工学大編という本の編纂で、公害が一番大きな問題だと。その当時の専門家を集めまして、作ったんですが。地味な本で十版にはなりまして。ただその後の公害衛生工学研究の基礎文献に。その時同級生に宇井順という男がいまして、この男も学生運動を一緒にやったんです。私の方は中心で共産党と大学連の先頭に立ってやったんですが、彼は理科系の勉強家だったんで民青くらいやってたんですね。 

 都市工学科にいて万年助手で、同輩が教授になってもしてくれないんですよ。宇井は優秀でまじめなのに気の毒だって、私が出版会を紹介しまして雑誌やなんかに書いた物が爆発しまして

 公害言論を東大で講義するようになって、沖縄で教授職も得て。この間、亡くなりましたけども、これも執念の男でして。 

 ういう人が周りに何人かいまして。絶えずそういう問題を追っかけたもので、栗原先生の「フォレストベンチ」を見まして長年探し続けた恋人にあったと、女神にあったという感じでした。 

 それから勝手に「フォレストベンチ」の事を書きまして。先生に叱られるようなことも書いたんじゃないかなと思いながら、だんだん石山寺の紫式部の大津の石山寺も栗原先生が直したんですよ。あれも水が出て水が出て大変だったんですよね。それで、建設省と石山寺の住職が話をして水路を作ったんですね。その水路の周りを建設省がコンクリートで埋めちゃったんですよ。そしたら僧侶が偉い人で、約束が違うじゃないか、緑化しろと建設省に言ったもんで、建設省が一生懸命勉強しましたら、栗原先生のフォレストベンチ以外にないという事で、先生がフォレストベンチでやったんですよ。ただ、色々制約があって大変だったと見学に行ってお聞きしました。世の中狭いもんで石山寺の今の住職の奥さんが私の家内のいとこの娘でした。 

 石山寺は解決したわけです。私は凄いなと思ったのは、石山寺に土地に合う植物が生えてきているんですよ。土地に合う植物が生えてくるというのは、自然は根本的に、安定してますから。 

 今、紀伊半島の台風12号の水害で、山がどーんと崩れたりして。あれは人間が悪さしたからでしょ。元々の樹を切ってしまって、杉と檜でもって早く成長すればその材木を扱えるからとやったんで根の浅いものしか作らない。 

 昭和30年代初めには、アメリカに材木の自由化をしろとしたために、林業が成り立たなくなって山を守る人間もいなくなってしまって。ずっと伝統的に山を守る人間はいたんですよ。日本列島は隅から隅まで人間の目が行き届いていたんですね。地面に太陽がいくように枝を切って、それでやって来れたから、地面が丈夫だったんですよ。ところが林業の自由化の後、来を切る人、山に入る人がいなくなって太陽の光が地面にいかなくなって、これが原因で、わが日本国の山がうーんと弱体化して台風などで半分山がえぐられて。見に行ってきました、水害の爪痕。 

 今関西テレビで仕事やってるものですから。関西が活動場所です。東京の大新聞社や大テレビ局は世の中に対してものすごく傲慢なんですよ。自分たちが一体になって、わぁ~っと宣伝すれば政権も変えられる。何でも出来るって思い込んでる傲慢な奴がいまして。私は彼らと今戦争をやっているんですよ。 

 今度の本に出版社が遺言だなんて書いちゃったもんだから、抗議が殺到してるんです(笑)

 先日は日本評論社の先輩で私より丁度10歳上の先輩で清水英夫青山大学の名誉教授で、憲法の専門家で出版学会を作って会長になった人でその世界では超著名人の人で、彼から手紙が来まして、「遺言とはまだ早い」と。正月にでも「失礼しました」と言おうかなと思いまして。

 この間、東洋経済新報社の講演に行きましたら、東洋経済の会長が、「森田さんは遺言なんて書かれてるけども、もうあの世に行っちゃうつもりですか」なんて、抗議されまして。 

 聞いている人が百何十人かいて、「そうだそうだ」と。だから私は遺言というのは1回切なんてないでしょうと。それから20回30回書くつもりですよ。第一弾です。これから20冊30冊書くつもりです。 

 一番の強敵はマスコミですよ。政治家はマスコミに狙われたら終わりですから。我が日本はマスコミが一本です。読売と朝日がしょっちゅう喧嘩しているのは、仲良く見せないためのゲームをやっている訳ですからね。映画を作るのと同じなんです。みんな最後は一体なんです。テレビ局も一体なんです。一体になって報道すれば全部通ります。 

 経験を通して知ってますから、一番権力的で生意気なのは彼らですよ。入社する時は800人に一人、1000人に一人です。テレビ局は2時間番組でスタッフ200人、社員スッタフは5~6人ですから。後は給料20分の1位の王侯貴族と奴隷みたいなものです。 

 ちょっと、生意気なことをすると首を切られ失業者になるもんですから。威張ってるもんですから、相当やつけったけれども、彼らの方が強くて、私がやられている。(笑) 

 死ぬ前に、傲慢な連中を、一発やってやろうと思って今、本を書いてますよ。本を読んで下さる方は味方です。本を買って読んで下さる方は神様ですよ。(笑)本当はひれ伏さなければならないんですけど、膝が悪いからできませんが、ご勘弁いただきたい。 

 実は、私は、まず共産主義がらスタートしました。資本主義が悪いから、共産主義がいいんだと。

 私有財産制度の元でもって成り立っているから、個人の利益追求が主になって、競争すれば強いものが勝ち、弱いものが敗れる。私有財産制を廃止するべきだ、これがカール・マルクスの考え方なんです。これが共産党宣言の主旨になり、かの資本論の原理になった。 

 戦後、兄貴が死んで、親が病気になって倒れたもんですから、悲惨な状況になったもんだから、この野郎という気持ちがありましたよ。カール・マルクスに結びついて行った。十数年間やるだけやった。 

 色んな事が分かってくるにつれて、この世の中は、人間の意志でどうにもならないことが随分ありますよ。 

 何で、カール・マルクスが敗れたかご存知ですか。

 共産党宣言において、階級社会が出来上がっている。どんどん競争になる。強いものが勝ち、弱いものが負ける、負ければ企業は倒産する。失業者になる。

 やがてこの世の中は、二大階級に分裂し、少数の富裕層、ブルジャアジーと大多数の貧困層、彼らはプロレタリアートに分裂し二大階級になる。

 大多数の貧困層・プロレタリアートが立ち上がり、ブルジャアジーを倒して、社会主義・共産主義に行くんだというのがカール・マルクスの論理なんです。 

 インテリはみんな信じて、インテリは信じやすい。ヨーロッパのインテリはみんなそれに行って、カール・マルクスは神様になった。

 ところが重要なんです。実際の社会では、何が起こったか。競争でもって敗れた人達はプロレタリアートになる人もいたんです。無産階級の人もいたんですが、そうでない人もいたんです。小企業を作って、自分の家庭と自分の事業等を一体化させ、中小企業をどんどん作って、それが、まちの経済を支え、村の経済を支え、社会の底辺を支えたんです。 

 19世紀の後半のインテリはマルクスを信じているその歴史の陰で、実際の歴史は中間階級を猛然と生産していったんです。

 気が付いてみたら、中産階級、中間階級、小規模経営者、小規模事業者が家庭と企業の機能を同時に持ったそれらの人達が、社会を動かすようになった。これが原動力なんです。 

 それでカール・マルクスは敗れたんです。それで共産党宣言の予言が敗れたんです。私はずうーといくら言っても、共産党の連中はいう事を聞かなかった。固定観念というのは恐ろしいもんですね。 

 それを大事にする社会をどう作っていくかが我々の社会の課題ではないのか。

 フランス革命の理想は自由と平等でしょう。相反する題なんですよ。

 ゲーテは「政治家は自由と平等を両方とも公約するけども、こんなことは不可能で、こんなインチキなことはない」と言ってます。ですが、相反するものを同時に実現するしか、社会の安定性は得られないんです。 

 自由にこだわれば、自由競争資本主義、今の社会がガタガタになったのは自由競争市場主義になったからでしょう。レーガン、ブッシュ、サッチャー、日本で小泉純一郎でそういうことで、ガタガタになった訳でしょう。 

 それともう一つは、それを一編で止める平等主義。これを折衷しようと考えた人間が実はいたんですよ。

 世界的に有名なのはケインズなんですよ。1936年に『雇用、利子および貨幣の一般理論』を書いて、ケインズの支持者たちは、これを修正資本主義と呼んだんです。その後輩たちは混合経済と呼んだんです。 

 戦後の30年ぐらいは、資本主義は一時期、安定しまして成長するんです。力が付いてきたんです。しかし、石油ショックで一撃を受けたもんだから、資本主義はダメなんだと。

 サッチャーが出てきて、もっとも、イギリス労働党も極端に行き過ぎたんですよ。

 今の民主党みたいに福祉だけしか考えない。雇用と成長を考えない。 

 サッチャーに一撃されて、サッチャーはアダム・スミスの自由経済理論を持ってきて、自由競争。極端にしたんですけど。アメリカは、国にレーガンが現れてきて、それをやった。 

 理論家はミルトン・フリードマンとは悪い奴ですよ。2007年に『ショックドクトリン』という、ナオミ・クライアント、ナオミさんというから日本人みたいな名前ですが、カナダ人の女性ですよ。分厚い本を書いて、如何にミルトン・フリードマンは悪い奴かを克明に書いている画期的な書物です。 

 私はすぐ紹介したんですが、なんと日本では今年ですよ。翻訳出版できたのは。その時にすぐ出版しようと思って、ある出版社が私を監訳者にして、翻訳権を申請したら、別の出版社が取って、取れなかった。その出版社が、どういう訳か頭に来たんです。 

 ほかのところ(外国)ではみんな、出ちゃってるんですよ。ミルトン・フリードマンの自由経済旺盛・賛美論が他の国では、どんどんどんどんナオミ・クライアントの本が普及するに及んで、ミルトン・フリードマンの影響が、小さくなって、日本でもやれと言っても、どういうわけか、いろんな圧力があったのかも知れませんね。今、調べてる最中ですが、岩波書店が出したのは、今年の秋ですよ。4年も遅れている。ただ出版になったら効果ありますよ、ミルトン・フリードマンが度悪党であることが、ばれちゃったんですから。

  ともかく、資本主義が上手くいくのは、自由経済に平等を加味して一定の制約をして資本を暴走させないことです。 

現場の説明をされる栗原博士

現場の説明をされる栗原博士

 栗原先生は神様ですね。栗原先生は天才と書いたら、栗原先生の親しい人が大阪にいて、栗原先生は謙虚な人だから、嫌がるんじゃないでしょうかと言われるで、的を入れよう天才的と。こないだ、先生からそれも削られた。これから、どうしようとしばらく悩んだ。

 原点に戻ろう。これから天才だ。ところが今日、上の方を仰ぎ見たら神様に見えた。 

栗原博士の説明に聞きいられる森田実先生

栗原博士の説明に聞きいられる森田実先生

 ともかく資本主義が安定して、国民を安定させ、国民を幸せにもたらすためには、自由競争経済をやっちゃいけないんですよ。強いやつが勝つに決まってますから。弱いもが不幸になるに決まってますから。これをアメリカは走ったんです。 

 アメリカの巨大なる政権を利用して、あらゆる資本主義国に押し付けたんです。あらゆる資本主義国が自由経済に走っちゃたんです。暴走しました。何でも在りになりました。アメリカは巨大な軍事力と巨大な政治力で他の国の富を持ってくる力がありますから、日本はそうですよ、犠牲になった。 

 何故、二十年間も日本が成長しないんですか。アメリカが経済政策に行ったからですよ。戦後の日本というのは、マッカーサーが利口だったんです。ポツダム宣言でもって日本は無条件降伏したんです。 

 ポツダム宣言をご存知の方が多いと思うんで釈迦に説法で悪いんですが、ポツダム宣言は全13項からなっている。最後から二番目に「日本が民主主義の国としてやっていけるようになったら、軍隊を全部撤退すると約束している」その約束は非常に大きな約束なんです。その約束を信じて日本は無条件降伏したんです。ポツダム宣言を受け入れたわけです。やがて日本は完全な独立国となると。 

 ところが、6年経って、中国と当時のソビエトロシアが同盟関係を結ぶわけです。中国革命が成功して。中ソ共産主義同盟が恐ろしくなったもんだから、それを理由にして日本を永遠のアメリカの基地にするという方針になってやったんです。 

 私はこう思いますよ。惜しくなったんですよ。日本が、素晴らしい国だから、そうですよ。離すのが惜しくなった。全部撤退すれば、また日本は持ち上がってくる力があるから。

 惜しくなった。それで、米ソ冷戦構造とか屁理屈をつけて、日本に軍隊をずうっと置き続けているんですよ。軍隊がいれば従属国ですよ。日本は。だんだん安全保障だけの従属国から経済の従属国になり、あらゆるものが、アメリカによって決められる。 

 今、TPPが議論になってますけが、揉めるものじゃないですよ。日本の習慣まで変えてしまおうとしている。間違いですよ。習慣まで変えてしまう。習慣や風俗まで比較すると日本は最良の国だと思いますよ。アメリカよりずうっといいですよ。ですが、それまで変えるのは無理ですよ。だけど東京の方がずうっと多数派ですから、東京の政界、特に一番従属的なのは、新聞とテレビ、大マスコミですよ。 

 実はマッカーサーは利口ですね、ご承知の通り、明治の国というのはどういう国家であったかと申しますと、天皇が頂点ですけど、5本の柱で成り立ってた国ですよ。

 5本とは何か、陸軍と海軍と内務省と外務省、それから大蔵省、財政ですよ、5本の柱の上に大日本帝国は成り立っていたんですよ。それで、調子に乗って戦争に入っちゃたんですね。 

 その時、バランスが崩れてましてね、1930年代初めまでは海軍が結構、力があったんですよ。陸軍に匹敵する位、力があったんですよ。だから昭和7年の5月15日の犬養毅を暗殺した5.15事件は海軍がやったんですよ。青年将校たちが。それから後半の2.26事件、昭和11年・1936年2月26日の2.26事件、今度は陸軍がやったんですよ。陸軍の主導権になる訳です。そして最後は陸軍主導のもとに戦争に入っていったんですよ。 

 そして、ポツダム宣言が出た時も、陸軍の政権になって、徹底的にそんなもの受けられるかと抵抗したために、広島と長崎に原爆を落とされた。そして、満州、北方領土、樺太で大悲劇が起こるんですよ。こういうことをやったんですよ。 

 最後は阿南が切腹をして、けじめをつける訳なんですけれども、兎も角、軍事政権だから陸軍と海軍とは解体したんですね。ポツダム宣言を呑むという条件で、内務省が特高警察なんて、いろんなことをやったから、解体した。 

 外務省は人数も1/3位に減らされて、結局、アメリカの国務省の東京出張所みたいになっちゃたんですよ。それでもって67年やってきますから。今の外務省は酷いですよ。幹部は英語だけ、しゃべれる人間でしょう。日本の旧外務省はもうロシアに行く人間はロシア人と同じように話す。中国に行く人間は中国人と同じよう話す。ドイツ圏に行く人間はドイツ語が話せる、フランス圏に行けばフランス語、イタリア語が話せる、中南米に行く人間はスペイン語やポルトガル語を話してたんです。全部そろってて、外務省だったんです。今は、アメリカ一辺倒ですから。英語しかしゃべれない連中ばっかりになりましたよ。事実上、外務省の名は残ったんだけど、解体されたんです。 

 マッカーサーは日本に2年間ほど戦前いたことがありますから、日本の事を研究してた。ただ者ではない。マッカーサーはアイゼンハワーよりはるかに秀才ですよ。

 ところが、秀才というのは、若いときからいろんなこと乱暴というかトラブルを起こしますから、トラブルを起こさない鈍才のアイゼンハワーがヨーロッパ、トラブルばっかり起こした秀才のマッカーサーがアジアに来たんです。 

 日本を完全にアメリカがむき出して、支配することはできない。日本はそんなことができないと彼はわかった。まず、皇室と上手くやった。亡くなった昭和天皇はものすごく、政治的でしたよ。かなり政治的な発言もしましたよ。頼まれてもやってますよ。今の天皇はそうじゃないですよ。それから大蔵省と一体化したんですよ。 

 つまり今後は、日本は経済の国だ、財政を抑えなくてはいけない。ですから、大蔵省の人達のキャリアを見ればいいんですよ。後の事務次官、主計局長、収税局長になる人たちは、30前後でもって、アメリカの大使館、ワシントン大使館の大体筆頭公使ですよ。そのくらい若くして、アメリカの人脈をぱーと築かれる訳です。そしていろんなところに勤務したり、日本で勤務したりして、途中、節目、節目でもってアメリカに行って重要な役職をやってます。完全なアメリカ人になってます。 

 もう一つは法務省ですよ。法務省が非常にアメリカに近い。ですから法務省の役人のトップになる人は、みんなアメリカ勤務、永いですよ。今は、ほとんど行ってる。 

 だからマッカーサーは3本の柱をちゃんと握って日本を支配した。ただ、マッカーサーも首が飛んで、本国召還になるんですが、その体制が、ずーと今も続いているんですよ。

 だから大蔵省(現財務省)の時代になったんです日本は。ところが、石油ショックまでは、官庁の力関係はまだバランスが取れていたんですよ。そりゃ建設省も結構、力ありましたよ。金がありましたから。建設省は後からですけども、田中角栄はガソリン税を建設省で使えるようにしたでしょ。金があったから大蔵省に対抗できたんですよ。 

 郵政省には郵便貯金の金があった。保険の金があった。これで対抗できたんですよ。

 厚生省は年金の金があった。労働省は失業保健の金があった。金があるところが、財務省に対して、力が強かったんですが、財務省はその競争相手を次々と打破った。 

 1980年頃には厚生省の官僚達は殆どやられた。その後の、厚生省のいろんな社会福祉、年金、医療、全部決めてるのは、影の大蔵省ですよ。抵抗するところは、次々と落としていきましてね。最後に落とされたのが、建設省ですよ。その前は郵政省ですよ。ですから、今は金は、大蔵省が全部、握りました。 

 官庁分権体制が崩れちゃったんですよ。これが、アメリカと一体ですから、今やアメリカは日本の経済政策をコントロール出来るわけですね。アメリカは日本をつまり、金の供給場所としてしか、見てませんから。特にレーガン以後は。 

 ですから、日本の金は、日本の国内で遣わしちゃいけない。遣わしちゃいけないというのは、日本で景気対策を取っちゃいけないと言う事ですよ。日本で投資をしちゃいけない、公共事業をやっちゃいけない。民間投資をやっちゃいけない。ありとあらゆる理屈をつけて、今は政策を決める官庁の諸君はアメリカで教育を受けた連中ですから、もうアメリカと考え方が同じですよ。 

 驚くべきことに、20年間、日本は成長なき経済をやってきている訳です。普通の国だったら潰れますよ。ギリシャですよ。イタリアですよ。資本主義というのは、ご存じの通り、経済的な自由競争でしょう。制約しても、勝ち組と負け組が出来ますよ。制約しても、どうしても不幸な人が出ますよ。

 しかしながら、もう一つの軸は民主主義でしょう。民主主義は、恵まれざる人間も平等に扱う訳ですよ。働く意思と能力がない人もいる訳ですよ。働く意思と能力を持っても、働けない失業者いるわけですよ。 

 こういう人達に対して、平等に手当てするという民主主義と自由競争という不幸な人間を助けるという、ともに二本の柱として、存在して、上に立って民主主義社会は成りったっている訳ですよ、我が日本も。そうすると成長した富によって、恵まれざる人達を保障するしかないんですよ。成長経済というものを、資本主義・民主主義国は義務づけされている訳ですよ。 

 運動しないでもって、やっていると体がなまっちゃいますよね。運動するんですよ人間は、資本主義はそれをやるんですよ。それで初めて生きられる。もちろん成長は5%あれば、所得は5%上がる。物価も5%上がりますよ。成長していけば、それが10%になったら、物価上昇が激しすぎて、人間不幸になりますから、もう極端な成長はもうできませんよ。物価上昇を伴いますから。だから。物価上昇が3%から5%とどまる程度の成長と所得上昇というものを、行いながら自由経済の共存体制を作ってる訳です。これに応える体制は、ケインズ流の体制、混合経済体制しかないんです。 

 日本では、ケインズより偉大な男が3人いたんですよ。一人は高橋是清ですよ。2.26事件で殺される訳ですよ。天才です。ケインズ以前にケインズの考え方を確立した世界的な経済政策家ですよ。もう一人は、高橋金吉、東洋経済の記者でありながら自分で勉強して、地を這うような研究をやって、その方向を打ち出した人です。もう一人は石橋湛山ですよ。これは、高橋金吉と組んで、その後やったんですよ。 

 だから、こないだ東洋経済に行きましたら、東洋経済の社長や幹部が出てきましたよ。我々は今、方々に行くと叱られるんです。何故?石橋湛山、高橋金吉の後に誰も人材がいないんだと。我々は肩身が狭いです。頭下げて歩いています。と言っているのは高橋金吉、石橋湛山が偉大だったことが言えます。 

 戦後、それを復活させようと思っても、私なんか、随分やったんですが、力足らずで出来てないんですけども、そういう大きな流れの中で日本は生きていくということになれば、日本は自分自身でもって判断し、政策決定するようにしないと、駄目ですよ。いつまでもアメリカに進められたてんでは。 

 経済体制は混合経済体制でもって行くしかない。私はそういう目で公共事業も新聞はえらい仇にして叩きますよ。良いものまで叩いてます。悪いものは改めなくてはいけませんよ。良いものまで叩いている。 

 兎も角、そういうことで、公共事業必要論とか新公共事業必要論とか建設産業復興論とか書いて、やってきたんですが、一番初めに話した環境を改変する以外に駄目なんだと。 

 そこで、栗原先生のフォレストベンチ事業を知りましたので、この間、中国の社会科学院の大物がいましたんで「フォレスト頼むよ」と言ったんですよ。そしたら、今、中国に行って、中国政府の要人に話していただいている筈です。栗原先生にも会っていただいて、日本はこれから、先生のお力と、いろんな人のお力でもって、フォレストベンチで自然を直してあげる。それを全世界に普及できないか。 

 佐野茂樹という赤軍派を生み出した、その時は大変悪い奴だといわゆる新聞に書かれまし、その責任を取って何年間も独房でもって、刑務所の飯食って出てきて、人生の罪滅ぼしに、孝行をやろういった、そいつの執念みたいなものが、少しだけ乗り移ってまして、

 これをやってみたいというのが、私の動機なんですよ。 

何とかですね、栗原先生という天才が出てきて、我が日本国に光を射していただける、この少しでもと思ってやっているんです。

 ただ実際になかなか難しいのは、今、公共事業を段々、削減して、今度はちょっと増えているんですけど、建設業界はどこもみんな、資金繰りが大変なんです。そうするとですね、私と似た理論を持っている人間でも、結局、事業費が高い方が良いという方向に、政治家は行くんですよ。企業家もそうなんです。 

 栗原先生の技術が優れているのは、鉄筋コンクリートでやるより安いですよ。これのほうが。はるかに経験によれば鉄筋コンクリートより優れている訳です。その上、安い訳です。安いことが、この深刻な不況の中で、国がフォレストベンチ応援団に全面的になれない、制約になっているんですよ。世の中矛盾ですね。これを、来年の事業として、打破りたい。どうしても打破りたい。 

 今やっとですね、その動きが少し出てきました。民主党の中で、まだ全然、力もない連中なんですけど、公共事業をこれ以上減らすのをやめろというグループが出来ましてね、国土を良くするためには、もう公共事業を減らすのをストップしろと。これから増やしていこうというグループができましてね、何十人という議員連盟ができたんですよ。 

 やっと、最近動き出したんですね。ただ、彼らは力ない。「色男、金と力は、なかりけり」(笑)色男でもないので、無力(むりき)。

 ところで、自民とも今度、国土強靭化総合調査会というのを作ったんですよ。これはですね、2日に1回、講師を呼んで、猛烈にやってます。そして、出席名簿を印刷して全部、党員にばら撒く、出ない人間は不熱心だということになるんですよ。ですから、もう回数ごとにどんどん増えている訳です。此間、私、呼ばれたんで公共事業必要論を書いてますんで、行ったんですよ。

 部屋が溢れているんですよ。窓から覗いているんですよ。入口から。出席取るもんだから。(笑) 

 それをやってるのが、二階俊弘会長、武部勤会長代行、これ(武部勤会長代行)は小泉改革の時の総選挙やった男ですよ。あの時、私は相当対立しましたけれども。力があるんす。力を良い方に使えばいいんです。それから林幹雄衆議院議員・千葉10区が、それから先生の後輩でもある福井照衆議院議員(高知1区)。まだ、当選4回ですけど、この方は出来ますね。土木工学科出身の政治家で、数あるなかで、福井衆議院議員は一番できると何人からも言われています。 

 兎も角、そのチームがものすごい勢いで動き始めて、総選挙の前に国土強靭化の計画を打ち出すと。それで選挙やると、今のまんまで行ったら、民主党は失敗しすぎましたので、もう選挙は勝てないですよ。自民党がウサギみたいになって、寝転んでいれば別ですよ。(自民党が)必死になってやれば、民主党の政権維持はできない。 

 どっちが政権を取ろうとも、いいことをさせれば良いんで、その一歩を築きたい。今やってるところです。ちょうど12時になりました。ご静聴ありがとうございました。 

 

<栗原博士>

 今回は第1回現地講習会の名前にしましたけれども、先生のご講演を含みまして、今後は第2回、第3回と続けて参りたいと思っております。

 次は何処になるかわかりません。九州かも知れませんし、もしかしたら東日本の大震災の場所かもしれませんし、皆さん、お忙しいでしょうが、皆さん、これからもご案内を差し上げます。

 是非このような勉強会を、ケインズのようなことが聞けますので、フォレストベンチとケインズどう結び付けるかを、次回のテーマにさせていただいたらと思います。

 今日は先生のご本をサイン入りで頂戴いただきましてありがとうございました。

 それでは、場所を「まるなか」さんの方に移して、歓談させていただきたいと思います。

 先生は定例収録が午後3時になるという事で、真鶴駅へ13時9分、お送りします。それまではお食事を一緒にし、ご歓談していただきます。

 

自書「独立国日本 のために」にサインをされる森田実先生

自書「独立国日本 のために」にサインをされる森田実先生

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フォレストベンチ研究会のURL

http://www.forestbench.com/

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